利神城と黒田官兵衛

麓から見た利神城

麓から見た利神城

利神城は貞和5年、赤松一族の別所敦範が利神山頂に城を築いたことに始まったといわれています。慶長5年関ヶ原の戦いの跡、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万千石で領主となりました。3層の天守は、あたかも雲を突くが如き威容から雲突城とも呼ばれました。

当時の面影を残す町並み

当時の面影を残す町並み

 天正5年播磨をほぼ手中に収めた羽柴秀吉は、いまだ従わない佐用郡へ兵をすすめます。この時の秀吉の手紙に「播州佐用郡内に敵城三つ候」とあり、上月城・福原城・利神城の3つが攻撃の対象でした。
 この3つの城の中で唯一攻撃を免れたのは、この利神城だけでした。福原城と上月城が落城したとき、利神城主の別所氏はなす術がなく、人質を出して秀吉に降伏します。
 また、別の説として、別所氏を上月城の山中鹿介が攻め、陥れたとも伝わっていますが、真偽は定かではありません。
 これ以降、天正6年に上月城を毛利氏が落としてからは、池田氏が領有するまで、宇喜多氏が領有していたとの説が有力です。
 

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利神城跡

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